私がモラハラ夫との離婚を選ばなかった3つの理由

モラハラ夫を持った妻がモラハラ夫と離婚をしないのは、洗脳されているからでも怖くて行動に移せないからでもありません。
かといって、夫の本質を「変わって欲しい」と思うほどの熱ももう持っていません。
私は夫と離婚をするつもりはないです。
でも私の事を看取って欲しいとも…思っていないのです。
私が夫と離婚をせずに共存をしようと決めた一番の理由は、やはり生活の安定に他なりません。
そんな結婚生活、幸せなの?
と思う方もいると思いますが、今は幸せです。
夫の場合、子どもの前でモラハラ発言をする事はまずないし、子どもの事を本当に大切にしてくれています。
私にとって、子どもの良い父親である事が夫への一番の望みなんです。
モラハラ夫と離婚しないのは「良い夫」である事を望んでいないから
私がモラハラ夫と離婚をしないのは、夫に「良い夫」であることをもう望んでいないからです。
昔は、夫婦共白髪で寄り添い合いながら暮らし、仲の良い夫婦でありたいと思っていました。
子どもが成長をしたら2人で旅行をしたり、食べ歩きみたいな事もしたいなって思っていたし、そういう未来を思い描いていたんです。
そういう、夫婦が共に歩む未来を目指して生きていた頃は、夫が軽度とはいえモラハラである事が辛すぎて仕方がなかった。
どうして、やっと幸せを手に入れたと思っていたのにモラハラ夫なんだろう。
どうして普通に生きているだけなのに、こんなにも蔑ろにされなくてはならないのだろう。
そう思っては毎日、悲しくて仕方がありませんでした。
でも、私が夫のモラを笑えたあの日。
あの日からスーッと、心が楽になったんです。
欲しいものは自分で買う。
行きたいところへはひとりで行く。
食べたいものは自分のお金で買って自分だけで食べる。
したい事を自分の力でする。
夫婦でしたかった事を、私自身でする事にしたんです。
夫の事を嫌いになった訳ではありませんよ?
息子の成長を2人で喜べる事は素晴らしいし心強いと思っています。
そして私にとっては、息子の成長を2人で見守り喜びあえる、これだけで十分で、それ以外は望んでいません。
同じ景色を観て微笑み合い、同じものを食べて笑い合い、時にお酒を飲みながら談笑をし、同じ映画に涙を流し、同じ歩調で手を繋いで歩く存在は、私にとってもう必要がないんです。
モラハラ夫と離婚しないのは、モラハラを小さくて下らないと思えるようになったから
私が、そこまで達観できるようになった理由の1つが、夫のモラハラを小さくて下らない事だと思えるようになったからでもあります。
もちろんうちは軽度だからそう思えたっていうのもあると思うんですけど、
だってモラハラ夫って、丸で反抗期の男子みたいじゃないですかw
夫は反抗期がなかったことが自慢でした。
義母もそれを誇りに思っているようでしたしね。
でも私から言わせれば、40代になってもなお実の母親の間違っている事を指摘できない男なんて、身体だけ成長して中身は子どものまんまっていう事なんですよ。
それだけならまだしも、本来であれば反抗期を迎え、とうの昔に済ませておくべきことを、配偶者で済ませて思春期のやり直しをしているのがモラハラなんです。もちろん自論ですけどね。
そんな下らない事のために、私の人生揺さぶられてたまるもんかと思ったんですね。
裕福ではないけど安定している今の生活を、こんな事で手離したくないと思ったんです。
夫をATMとは思ってないけど、経済力は大切
我が家は裕福とは言えないですけど、私にとっては十分な生活です。
そりゃ昔は生活費5万円だけ渡されて困った時期もありましたけど、でも住宅ローンも水道光熱費も別ですからね。
とりあえず夫と一緒にいれば、健全で健康で何も不足のない生活に子どもの身を置くことが出来ます。
もしも何の資格もキャリアもない私が夫と離婚をしてシングルマザーになった場合、明日食べるのにも苦労をして、寒い日に凍える思いをし、子どもに色々な犠牲を強いてしまう。
だから夫が良いパパであるうちは、
息子の前で私を虐げるような事がない限りは、私は夫と共に生きて行こうと思ったのです。
幸い(というか)、夫はモラハラ気質を持ちつつも、息子を大切にしていて、自分の息子には自分が幼少期に感じた辛かった事を体験させたくないという気持ちがあります。
夫が小さな頃に毎日見せられた夫婦喧嘩を、自分は我が子の前でしたくないという気持ちが強いんです。
もちろん、夫の幼少期に感じたことと息子の気持ちはイコールではないけれど、
できることなら我が子に余計な苦労をさせたくないと願うのは、親であれば普通のことだと思うんです。そこに私は夫と生きていく意味を見出しています。
私はもう今まで自由に、生きたいように生きてきたので、あとは子どもの成長を今の環境のまま観続ける事が出来るのならそれが本望。
だから夫と離婚をしないのです。
私がモラハラ夫との離婚を選ばなかった3つの理由、さいごに
モラハラ夫と離婚をしない事が正しいか正しくないかは、あくまでも結果論でしかないですからね…
例えば私自身が死ぬ瞬間に「もっと私を大切にしてくれる人と生涯添い遂げたかった」と後悔をするのかも知れないし、
「嫌な事も沢山あったけど、何だかんだと幸せだったな」と思うのかも知れません。
でも例え私が「もっと私を大切にしてくれる人と生涯添い遂げたかった」と思いながら亡くなったとしても、私にはその最期の瞬間の想いを知るすべはないし、今の私自身が良いと思う方へ進むしかありません。
もしかしたら1年後は考えかたが変わっているかもしれませんけどね!