パパの危険予測が甘すぎる!とストレスを感じた時にはこう考える

子育てにおいて、お父さんの危険予測が甘すぎてストレスを感じたり、イライラしたりした経験はありませんか?

我が家の夫はかなり生命力が強いタイプで、幼少時代からかなりのやんちゃだったのにも関わらず大したケガもせずに今まで生きてこられたためか、かなり危険予測が甘いというか・・・

もともと心配性で妄想が得意な私はそのギャップにいつもイライラ。

なんでそんな事もほっとくんだよ!!!!!!!!!

と、出掛けるたびにイライラが募り、子供がちょうど歩き出して歩きたいさかりだった頃は特に頭がどうにかなってしまうのではないかと思う程悩みました

しかしある日、気付いたのです。

お父さんの危険予測の甘さは、実は必要悪なのではないかという事に

子供はまっさらってほんとだな

なぜ必要悪と感じたか。

結論から言うと「あ、親って無条件で必ず自分の身を守ってくれる訳じゃないんだな」って学ぶのではないかと思うのです。

割れない食器の是非

全然違う話になりますが、息子が小さな頃にメラミン性の割れない食器を使わせていました。

息子はもともと食器を投げたりするような行動的なタイプではありませんでしたが、それでもイヤイヤ期や反抗期で少し強く置くとか、雑に扱う事が多くなった時、ふと思いました。

このまま大きくなってったら、どのタイミングで「食器は割れる」って気づくんだ?と。

「ねぇねぇ、そんな扱い方してたら壊れるよ」
と伝えてみましたが、息子はポカーンとしている。
そりゃぽかーんとするわな、だって壊れた事ないんだから。これが壊れるものだって知らないんだし。

そう思った私は、果たして「割れない食器」が良いものなのかっていう疑惑を持つように。

「割れない食器」っていうのは結局、子供が危ないからっていう体で私が今楽したいだけなんじゃねーのっていう。

そこで私は考えた。

小さなうちに「これは割れるんだ」って覚えさせるのと、もっと大きくなってから覚えさせるのとでは、どちらが楽だろうかと。

子どもは常に学習している。学習しなくていーよって事までも

子どもは丸で水を含んでないスポンジのようだとか、まっさらなキャンバスのようだとか言いますが、私はそれを「当たり前じゃん」とあざ笑っていました。

でも、既にまっさらでない私はその意味を少し勘違いしていたのですよ。

親が子供に覚えてほしいと思っている事だけでなく、えっそれ覚えなくていいんだけど(☞ ՞ਊ ՞)☞ ( ☞ ਊ )☞ ゜ ゜って事まで学習してしまう

例えば両手が塞がっている時にドアを足で閉めたら、それ以降子供がドアを足で閉めるようになった(両手塞がってないのに)とか。入浴中、物を取りに行くのに、ろくに拭きもせずにつま先歩きでそそくさとリビングに行ったのを目撃されたら、子供が風呂から上がったらつま先歩きするようになったとかね。

落ちてるものを足で拾ったら、それ以降足で拾うようになったとかも聞きますねー。

あ、これは私ではなく、実家の母の話や妹の家庭での話です念のため\(^o^)/

まっさらってこういう事なんですよね。
良い事だけでなく「出来たら見逃してほしい事」までしっかりと学習しているという。

 

先ほどの食器の話に戻すと、投げても叩きつけてもびくともしないメラミン食器について、壊れないという事をしっかりと学習しています
そこで怒られれば「壊れないけど怒られる」と学習し、怒られなければ「壊れないし怒られもしない」と学習していくのではないかと考えたのです。

更に考えを進めていくと、もしも自分の愛用している物が壊れたら、

「悲しい」
「直らない」
「怪我をする」
「危ない」

等を学習するのではなかろうか。
ではこの学習のチャンスを奪ってしまい成長したらどうなるか、妄想好きの私は更に突き詰めて考えました。

そこで行き着いたのが、このまま大きくなってったら、どのタイミングで「食器は割れる」って気づくんだ?という疑問でした。

子供は、ひとたび自分が信じたもの、理解した事を、なかなか変えてはくれません。「いや!!こうなんだっ!!!!」と頑なになる、それが子供です。

だとしたら早くに”これ割れるんだ”って覚えた方が楽じゃない?私はそう思い至ったのでした。

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社会に出たら「一人」という現実

ここで言う社会というのは幼稚園や小学校等も含むのですが、いつまでも親である私たちが守ってあげられるわけではありません。

社会に出たら、常に側でリアルタイムにアドバイス出来るはずもなく、危険予測をしてあげられる訳でもないのです。

友達や仲間に支えられ救われる事もあるでしょうし、学生のうちは導いてくれる先生がいるかもしれません。でも結局は人生の分岐を選択していくのは自分本人で、周囲はアシストしかできないのです。親でさえも。

自分の身は自分で守る

親の目が届かない場所に行くようになったら、自分自身で考え、判断し、自分の身を自分で守らなくてはならない時が必ずやってきますよね。

でもその時に「いつだって親が守ってくれる」と思ったままだったら

まぁ義務教育のうちはいいとして、成人してもそうだったらかなりゾッとします。

そう考えると子供が「いつだって親が守ってくれる」と学習しきってしまう前に、「あれ・・・?もしかして親って、必ず守ってくれる訳じゃない・・・のか・・・?」と気付くチャンスがあった方が良いのではないかと思うのです。

それこそがパパの危険予測の甘さは必要悪だという事に繋がるのです。

母と父、根本的に違って当たり前

育児においてパパとママの方向性がなかなか合わず、ママがストレスを感じるのはよくある事ですよね。今回は、「パパもストレス感じてるよ!!」というパパ側からのご意見はさておき・・・

お母さんが一生懸命危ないと教えている事を、休みの日に一瞬で崩された時の絶望(;´༎ຶٹ༎ຶ`)

イクメンなんていう言葉も流行り、お父さんも積極的に育児に参加するような時代になったとは思いますが、私はやはり、子供がお父さんから学ぶ事とお母さんから学ぶ事は、それぞれ違って良いのだと思います。

私が息子と一緒に出掛けると、それは危ないこれも危ない、怪我をするわよ!!とあれもダメこれもダメになりがちです。一方夫と出掛けた息子は、だいたい何かしら傷を作ってきますが、それでも充実した顔をして帰宅してきます。

あぁ、私では経験させてあげられない事を、夫は息子に経験させてあげているのだな、と思うようにしています。

まとめ

育児において、なかなか夫婦間の意見が一致しないという事は度々あります。
一致していないとならないような風潮がありますが、私は必ずしもそうだとは思っていません。

「子供に幸せになって欲しい」という主軸さえずれていなければ良いのではないかと。そして、子供に幸せになって欲しいという気持ちから意見がぶつかる事は、むしろ良い事なのではないかと思っています。

夫の危険予測が甘すぎてストレスに感じた時は、我が子は今、自分の身は自分で守らなくてはならないという事を学習している、そう思うようにしています。

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