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『子供がほとんど笑わない』笑わない子どもが大人になったらどうなるの?体験談

4 min
『子供がほとんど笑わない』笑わない子どもが大人になったらどうなるの?体験談ブログ
この記事のポイント

私は一時期、笑わない子どもでした。自分の過去を振り返りながら、

私がなぜ笑わなくなり、どう乗り越えたのか振り返ります。

実は私、小学校に入学してしばらくしてから5年生になるまで、ほとんど笑わない子どもだったんです。

当時の写真はどれも暗い顔をしていて、一切笑顔の写真がありません。

当時を知らない人は私が幼少時代に「笑わない子供」だったなんて、想像もしないと思いますよ。

私自身もその事を日常的に忘れてしまうほど。

でもふと…

自分が母親になってみて思ったのですよね。

『もしも自分の子供が笑わない子供だったら…』

って。

きっと心配でたまらないと思うし、辛いと思うんです。(子どもが一番つらいのは承知のうえで)

そこで、今まさにお子さんが笑わなくて悩み、心を痛めているお母さんに向けて、大丈夫だよと伝えたくてこの記事を書きます。

お悩みのお母さんは参考程度にお読みくださいね。

お悩み解決記事ではありませんのでご了承下さい。

私が幼少期に笑わなくなった理由

私が幼少期に笑わなくなったのには、はっきりと自覚している理由があります。それは、

  1. 妹2人が手のかかる子どもで、親に甘えられなかった。
  2. なぜか意地悪な子と仲良くしなくてはならなかった。
  3. 家族に対して理不尽さを抱いていた。

こんな感じ。

それぞれについてお話していきますね。

妹2人が手のかかるタイプで親に甘えられなかった

私は3人姉妹で、真ん中の妹は重度のアトピー性皮膚炎。
1番下の妹は手が付けられないほどわがままな性格でした。

まだ男性が育児参入するような時代ではありませんでしたし…

父の実家は家業をしており、母は私たち3人を家業を手伝いながら相手をしなくてはならない状態でした。

小学校2年生ぐらいまでは楽しい思い出もあったんですよ。
母はいつも手作りのおやつを作ってくれていましたし。

でも私が3年生ぐらいでしょうか、だんだんと母に余裕がなくなっていって、次第に甘えられなくなったのを今でも覚えています。

自分も母になってみて、母の置かれた状況の大変さがわかるようになりましたけどね。

でも当時の私は「私だけ甘えられない」という事しか理解できませんでしたからね。

いつもヒステリックに怒っている母、泣く母、暗い表情の母に、自分の些細な事を話す勇気はありませんでした。

いじわるな子と仲良くしなくてはならなかった

これは謎なんですが、なぜか自分が好きではない子と遊ばされる事が多かったんです。

その子は意地悪な子でした。

私は遊びたくもないのに、親の都合なのか…いや親の都合だったんだと思います。いつもその子と遊ばなくてはならず、その子に意地悪な事を言われたり、仲間外れにされたりする事がありました。

今思えば、ママ友界のヒエラルキーが子育てに影響していたのだなと想像がつきますけどね。

家族に対し理不尽さを感じていた

私は真ん中の妹と2歳半ほど離れています。
1番下の妹とは3歳半。

たった2~3歳しか離れていないというのに「お姉ちゃん」である事を強制されたような日々でした。

妹は許されても私は許されない事も多くて、単純に『いやそれ、おかしくね???』と感じる事が多かったんです。

それに私自身、どちらかというと出来の悪い子どもでしたからね…

忘れ物も多く宿題もギリギリになってやり始めるタイプでしたし、先生に叱られてもどこ吹く風。そうなると母も私を叱りますよね。

今となっては母も大変だっただろうと思えるんですけど、当時は母に対し『話も聞いてもらえないし甘えさせてもくれないのに叱るだけ』という理不尽さを抱いていたと思います。

笑顔を無くした子どもの私は何を思っていたか

小学生の間、私は本当に家族が好きではありませんでした。

家族旅行も年子の妹2人に合わせた場所に無理やり付き合わされるようなもので、とにかく楽しくなかったんですよね。今思えば贅沢だけど。

そして何より、誰にも甘えられず、誰にも心を許していませんでした。

早く大人になりたいと思っていた

かといって放任されていたわけではなかったので、子どもの私は非常に窮屈で、1日も早く大人になりたいと思っていました。

大人になったら、親に頼らなくても自分で好きに生きていけると考えていたんですね。

小学生の頃の同級生は、今になって当時の私のことを「やけに大人っぽくてミステリアスな子だった」と言います。

早く結婚をしたいと思っていた

親元を離れる手段として、私の頭の中にあったのが結婚。

18歳で結婚をしよう、ずっとそう考えていました。

早くに結婚をして親元を離れて、20歳までには子供を産んでお母さんになる。

まぁ大幅に予定が狂いましたけどね!

私がまた笑うようになったきっかけと、その後

誰にも心を許していなかった少女の私は、ある頃を境にまた笑うようになりました。

今まで、家族に対する不満ばかりだった私の心がパーッと晴れていくような、そんな体験だったんです。

小学校5年6年の担任に憧れて変わった

それまでの担任は、酷く責める教師ばかり。

今の時代では考えられませんが、いわゆる「おしおき」的な事は当たり前で、クラス全員の前で責めるとか、廊下に立たせるなどは日常茶飯事だったんですよ。

出来ない事を徹底的に責める。

そんな担任に私が心を開くことはもちろんあるわけがなく、私は小学校4年生まで本当に「無」でした。

でも5年生で担任になった先生との出会いで、大きく変わりました。

5年生と6年生の担任の先生は女性。

とても明るく素敵な人で、私を責める事は一切なく、私の「出来ない事」を責めるのではなく、「出来る事」を褒めてくれる人だったのです。

その先生はショートカットで、歌声がものすごくきれいな人。

私はその先生の太陽のような明るさに憧れたんですよね。

そして母に頼み、それまで長く重苦しい印象だった髪をショートカットにしたほど。

先生は(今思えば)とにかく小さなことも褒めてくれたんです。

だから私は色んな事を話したし、先生と話すのが大好きになって、次第に笑顔を取り戻したんです。

中学に上がってから急に味方が増え自信を取り戻す

それまでどんより暗い少女だった私は、ショートカットの先生との出会いから2年で中学生になりました。

小さな町の小学校と中学校ですので、メンバーは全員一緒なんですよ。

なのに中学に上がった途端、まぁまぁモテるようになりました。

小学校の頃に私をいじめていた意地悪な子からも何となく守ってくれる男子も出てきたりして。

いいか悪いかは別にして、異性からの人気が高まるという事は、自信に繋がる事ではありました。

親元を離れて自由を満喫

その状態で社会人になるまで多少ちやほやされて過ごし、更に自由になりたくて親の反対を聞かず上京します。

東京は、誰も私の事を知りません。
だから誰も助けてはくれないけど、自由。

もう本当に、自分を満喫していました。

故郷は窮屈過ぎて、もう2度と帰りたくない、そう思ったほど。

今笑わない子でも、絶対に自分を見付けます

実際に子どもを産み、当時の母と今の私、当時の自分と今の息子を重ねて考える事があります。

今、笑わない子も、いつか自分の心の置き場所を見付けて笑顔を取り戻すし、いつかその子が親になった時に、今お母さんが頑張ている事やお母さんが精一杯だった事を理解します

だから大丈夫ですよ。

何も出来ず、理由もわからずに見守るのは辛い事ですけど、時間しか解決してくれない事もあるし、子ども自身でしか乗り越える事の出来ない事もあります。

今回はそれだけが言いたくて書きました。
この記事があなたの役に立ちますように!

いじめなどが理由の場合は、必ず専門家に相談して下さいね。






こはく

こはく

健全に擬態する主婦

高齢出産・ひとりっ子・ママ友いないぼっちママ属性。もともと子どもが苦手。だからこそ「健全」目指して試行錯誤しながら子育てをしています。人生の経験値だけは積んでいます。

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