旦那さんに読んで欲しいシリーズ

『子供がほとんど笑わない』笑わない子どもが大人になったらどうなるの?体験談

実は私、小学校に入学してしばらくしてから5年生になるまで、ほとんど笑わない子どもだったんです。

当時の写真はどれも暗い顔をしていて、一切笑顔の写真がありません。

当時を知らない人は私が幼少時代に「笑わない子供」だったなんて、想像もしないでしょう。

私自身もその事を日常的に忘れてしまうほど。

 
でもふと…

自分が母親になってみて思ったのですよね。
 
 
『もしも自分の子供が笑わない子供だったら…』
 
 
って。

 
そこで、今まさにお子さんが笑わなくて悩んでいる、心を痛めているお母さんに向けて、大丈夫だよと伝えたくてこの記事を書きます。

お悩みのお母さんはぜひ参考にしてください。

 

私が幼少期に笑わなくなった理由

 
私が幼少期に笑わなくなったのには、自分でも自覚している理由があります。

それについてお話していきますね。

 

妹2人が手のかかるタイプで親に甘えられなかった

 
私は3人姉妹で、真ん中の妹は重度のアトピー性皮膚炎。
1番下の妹は手が付けられないほどわがままな性格でした。

 
まだ男性が育児参入するような時代ではありませんでしたし、父の実家は家業をしており、母は私たち3人を家業を手伝いながら相手をしなくてはならない状態でした。

小学校2年生ぐらいまでは楽しい思い出もあったんですよ。
母はいつも手作りのおやつを作ってくれていましたし。

でも私が3年生ぐらいでしょうか、だんだんと母に余裕がなくなっていって、次第に甘えられなくなったのを今でも覚えています。

 

いじわるな子と仲良くしなくてはならなかった

 
これは謎なんですが、なぜか自分が好きではない子と遊ばされる事が多かったんです。

その子は意地悪な子でした。

私は遊びたくもないのに、親の都合なのか、いつもその子と遊ばなくてはならず…その子に意地悪な事を言われたり、仲間外れにされたりする事がありました。

 
今思えば、当時もママ友界のヒエラルキーが子育てに影響していたのだなと想像がつきますけどね。

 

家族に対し理不尽さを感じていた

 
私は真ん中の妹と2歳半ほど離れています。
1番下の妹とは3歳半。

たった2~3歳しか離れていないというのに「お姉ちゃん」である事を強制されたような日々でした。

妹は許されても私は許されない事も多くて、単純に『いやそれ、おかしくね???』と感じる事が多かったんです。

 
また、私自身どちかといえば「出来の悪い子ども」でした。
忘れ物も多く宿題もギリギリになってやり始めるタイプで、そうなると母も私を叱りますよね。

今となっては母も大変だっただろうと思えるのですが、当時は主に母に対し『話も聞いてもらえないし甘えさせてもくれないのに叱るだけ』という理不尽さを抱いていたと思います。

 

その時、子どもの私は何を思っていたか

 
小学校中学年から高学年の数年間、私は本当に家族が好きではありませんでした。

家族旅行も、妹2人に合わせた場所に無理やり付き合わされるようなものでしたし、とにかくつまらなかったんです。

そして何より、誰にも甘えられず、誰にも心を許していませんでした。

 

早く大人になりたいと思っていた

 
かといって放任されていたわけではなかったので、子どもの私は非常に窮屈で、1日も早く大人になりたいと思っていました。

大人になったら、親に頼らなくても自分で好きに生きていけると考えていたんですね。

小学生の頃の同級生は、今になって当時の私のことを「やけに大人っぽくてミステリアスな子だった」と言います。

 

早く結婚をしたいと思っていた

 
親元を離れる手段として、私の頭の中にあったのが結婚。

18歳で結婚をしよう、ずっとそう考えていました。

早くに結婚をして親元を離れて、20歳までには子供を産んでお母さんになる。

 
まぁ大幅に予定が狂いましたけどね/(^o^)\

 

私がまた笑うようになったきっかけとその後

 
誰にも心を許していなかった少女の私は、ある頃を境にまた、笑うようになりました。

今まで、家族に対する不満ばかりだった私の心がパーッと晴れていくような、そんな体験でした。

 

小学校5年6年の担任に憧れて変わった

 
それまでの担任は、酷く責める教師ばかりだったんです。

今の時代では考えられませんが、いわゆる「おしおき」的な事は当たり前で、クラス全員の前で責めるとか、廊下に立たせるなどは日常茶飯事。

出来ない事を徹底的に責める。
そんな担任に私が心を開くことはもちろんありませんでした。

 
しかし5年生と6年生の担任の女性教師がとても明るく素敵な人で、私を責める事は一切なく、私の【出来ない事】を責めるのではなく、【出来る事】を褒めてくれる人だったのです。

その先生はショートカットで、歌声がものすごくきれいな人でした。

私は単純にその先生の太陽のような明るさに憧れました。

 
そして母に頼んでそれまで長く重苦しい印象だった髪をショートカットにしました。

それがきっかけで、私は明るくなったんです。

 

中学に上がってから急にモテた

 
それまでどんより暗い少女だった私は中学生になりました。

小さな町の小学校と中学校ですので、メンバーは全員一緒。
なのに中学に上がった途端、私はモテるようになりました。

これは本当に謎。
今でも同窓会で、私は知らないけど相手は私をよく知っている、という事が多くあります。

いいか悪いかは別にして、異性からの人気が高まるという事は、自信に繋がる事ではありました。

 

東京に出て更に開花

 
その状態で社会人になるまで多少ちやほやされて過ごし、更に自由になりたくて親の反対を聞かず上京します。

東京は、誰も私の事を知りません。
だから誰も助けてはくれないけど、自由でした。

もう本当に、自分を満喫していました。

 
故郷は窮屈過ぎて、もう2度と帰りたくない、そう思ったほど。

 

今笑わない子でも、絶対に自分を見付けます

 
実際に子どもを産み、当時の母と今の私、当時の自分と今の息子を重ねて考える事があります。

 
今、笑わない子も、いつか自分の心の置き場所を見付けて笑顔を取り戻すし、いつかその子が親になった時に、今お母さんが頑張ている事やお母さんが精一杯だった事を理解します。

 
だから大丈夫ですよ。

何も出来ず、理由もわからずに見守るのは辛い事ですけど、時間しか解決してくれない事もあるし、子ども自身でしか乗り越える事の出来ない事もあります。

今回はそれだけが言いたくて書きました。
この記事があなたの役に立ちますように!

 

いじめなどが理由の場合は、必ず専門家に相談して下さいね。