私自身は「自分は産後うつだった」と言えるほどの症状だったとは思っていません。でも今思い返すと「もしかしたら私もその入口ぐらいには立っていたのだろう」と思うのです。もちろん、本当に苦しんでいる方と比べるのも申し訳ない程度に、ですけど…
私は息子の事が大好きだし、高齢出産ということもあって母親になれたことはラッキーだったと思っているし、幸せです。
でも、息子が赤ちゃんの頃の事を思い出そうとすると頭がぼんやりして、かすみがかかったようにしか思い出せない事があるんです。
そして、息子が赤ちゃんの頃に息子を和ませたであろうメリーやおもちゃの電子音を聞くと、幸せな気分になるどころか、胸が締め付けられるような気持ちになるんです。
最近、私たち子育て中の母にとって多くの方が「辛すぎる」と感じるニュースが流れてきましたね。
マスコミはどこもまるで産後うつや育児ノイローゼが原因のように報じていますけど、私はそう決めつけるのには違和感を持っています。
本当の事は、ご本人にしかわからないですから。
でも「幸せの絶頂だったはずなのに」と彼女に向けられる言葉に私は、思い出した事があるんですね。
幸せの絶頂だったはずなのに、孤独しか感じていなかった自分のこと。
この記事では私自身の産後の事を書いてみたいと思います。
ちなみに、特に何かを解決するような記事ではありません。ただ「私はこうだったよ」という体験談です。
かすみがかかったようにぼんやりとしか思い出せない、子どもが赤ちゃんの頃のこと
私にとって妊娠出産は順風満帆なものではなく、切迫流早産からの長期入院、そして「出産」というものを「誰もが当たり前にしてきたこと」と言い切った夫への不信感や父の余命宣告など、色々な事が悪い意味でギュッと凝縮されたような日々でした。
仮にそのうちの半分は自業自得だったとしても、当時は何かを振り返る余裕もなく、(あの頃はこうだったなぁ…)と振り返る事が出来るようになったのは、息子が幼稚園に入った頃でしょうか。
何もない部屋で日がな一日、赤ちゃんを抱いた日々
息子を産んだ後の我が家は、ほとんど物がなく、リビングはただ広くガラーンとした状態でした。
マンションを購入して、家具インテリアを選ぶ間もなく切迫で動けなくなっちゃったので、何もなかったんです(今ではあの頃のスッキリ感に戻りたいぐらいだけど)。
ガラーンとした何もないリビングに置かれたソファで私は、テレビもつけずに赤ちゃんをずっと抱いていました。毎日、ただそれだけ。
息子は抱っこから降ろすと激しく泣き叫ぶ背中スイッチタイプだったし、
今まで子どもが苦手で赤ちゃんのあやし方もよくわからないし、長期入院で赤ちゃんを沐浴させる筋力も残っていなかった私が出来る事といえば、ソファに座った状態で赤ちゃんを抱くことだけ。
今思い出しても、よくあの状態で1日過ごしていたなぁと思いますね。
だって西日がさし込んでようやく「そろそろ夕飯の準備か」って気付くレベルだったんですから。
玩具の電子音に今でも胸が締め付けられる
しばらくして息子が動くようになると、赤ちゃん用のプレイマットを購入し、そこで息子を遊ばせたりしました。
こういうやつですね。


もう7年も前の事なので今発売されているものがどうかはわからないけど、当時は真ん中に音が鳴るおもちゃがついていて、子どもが触ると音楽が流れてライトがついたりしたんですね。
状況は相変わらずで、私は一日中ガラーンとした部屋で息子と過ごしていました。
今までと違うのは、そこに玩具の電子音が加わったこと。
物がないので電子音が響いて、妙に物悲しかったのを覚えています。
繰り返し繰り返し、いくつかのバリエーションの音楽が流れて、ただそれだけ。
あれから数年経ち、もう喋れるようになった息子がプレイマットの箱を見付けて、久し振りに出してみました。
息子と「赤ちゃんの時、こうして遊んだよ」と楽しく話すつもりだったのに、玩具の電子音が流れた時に私は、幸せな記憶よりも、胸が締め付けられて苦しくなってしまったんです。
幸せな時間だったはずなのに、子どもを愛しているのに
私はまさか自分が子どもを授かるとは思ってもいなかったので、子どもを産み育てる事ができて幸せだと思っていました。
でも、あれほど幸せに満ち溢れていた赤ちゃんとの時間は、思い出そうと思うと何となくぼんやりかすみがかったようで、そして頭に思い浮かぶのは、何もない部屋でポツンと小さな赤ちゃんを抱っこし続ける自分の姿。
赤ちゃんの笑顔でも、私が赤ちゃんに微笑みかけている姿でもなく、ミルクの匂いでもなく、ただ「孤独だった」という事が真っ先に思い出されます。
幸せだと思っていても、子どもを愛していても、孤独は孤独。
(子育てって、こんなにも孤独なのかー)
40歳で母になった私が、なぜこの世から不幸なニュースがなくならないのかを身をもって知ったような瞬間でした。
共に子を守るはずの「夫」が敵だと思ってしまった時
夫は息子の事をそれはもう大切にしてくれました。
でも意見が衝突する事が多く、例えばベビーシートは必須だと考え息子が泣き叫んでもベビーシートから降ろさなかった私に、泣く赤ちゃんをほっておくなんて母親失格だ(本当に言われたんですw)と夫に言われた時、
夕方になると泣き叫ぶ(力強過ぎる泣き声w)息子の事を「ちゃんと世話してる?どこかおかしいんじゃない?」と言い捨てた時、(1つ1つを書き連ねたらただの愚痴になってしまうのでこの辺にしておきます)
なんていうか、まあ一言で表すと絶望、「この人は敵なんだ」って思ってしまったんですね。
本当なら、一緒に子を守るはずだった夫が、幸せを共有するはずだった夫が、協力どころか共感すらしてくれないし寄り添ってもくれない存在だったっていう。
共感してくれるようで共感されない
出産後、義母は嫁と孫の体調よりも孫に会いたいという欲を真っ先に出してくるし、実家は父の事もあって頼る事も出来ないし、
産後すぐに区市町村から派遣される保健師さんはわかりきったような事しか言わないし、
とうに出産を済ませた友人は、「昔の子育てはこうだった」しか言わない。
みんな共感してくれるようでいて共感していないというか、何とも言葉にしにくいんですけど(あ、この人に話しても多分私の気持ちが良い方向に向く事はないな)と言う事だけ気付くばかり。
夫との衝突も私にとっては切羽詰まった事なのに、「あんなに子どもを大切にしてくれて家事もしてくれるパパ、他にいないわよ」「あなたが神経質になりすぎているっていうのも一理あるかも」と言われてしまい、私はそれ以上誰にも話す事を辞めました。
私の場合はたまたま、ラッキーにも産後うつを回避できただけで
その後私がどうやって過ごしてきたかは、本当のところあまり良く覚えていない部分もあるんですけど、とにかく子どものお友だちづくりもせず、ママサークルにも入らず児童館にも行かず、保健師さんに相談もせず我流で行くと決めて過ごしました。
育児本も読むのをやめたし、子育ての事を既に子育てを終えた人に相談する事も辞めたんです。
だって相談した相手が責任を取ってくれるわけではないでしょう?
結局は誰に相談しても何をしても、万が一選択を誤れば、ミスがあれば「母親の責任」と言われるんですから。
だったら誰かに先輩ヅラされて自分の至らなさを責めるより、自分の思うとおりに子育てをする方が私には合っていると思ったんですね。
幸いにも(といいますか)、私は妊娠出産までの自由な日々に、人より少しだけ色んな経験をしてきました。
誰からも必要とされない事の不幸を私は目の当たりにしたことがあったので、”私がいないと赤ちゃんが死ぬかも知れない”という事が、逆に支えとなったのかも知れません。
でもそんなか細い糸たった1本で普通の状態でいられるって、今思えばすごく危なっかしいですね。
そう、私はたまたま産後うつを回避できただけで、もしかしたらその入口ぐらいには立っていたのかも知れないのです。
出来ることなら「今の私」でやり直したいと思うことも
じゃぁどうしたら産後鬱を回避できるの?という事は、残念ながら私にはわかりません。
何を言っても無責任に思えるし、人それぞれトリガーは違うと思うんですね。
ただ1つ思うのは、
今の私でもう一度息子を産み、育てる事ができたら…と思うことがあるってこと。絶対に叶わない、あり得ない話ですけどね。
今の私なら、もう少し色んな事を受け流しながら、楽しい事や自分の中の優しい気持ちに目を向けて子育てが出来るのではないかと思うんです。
夫の一言へも気の利いた一言が返せたと思うんです。
私の中の息子の赤ちゃん時代の記憶を、ただ幸せなだけのものに上書きしたいと思うことがあります。
そうすれば、電子音の出る玩具を今でも大切に取っておき懐かしむ事ができるかも知れません。
その曲を聞いて真っ先に、息子の笑顔と、息子に微笑み返す自分を思い浮かべる事が出来るかも知れません。
さいごに
私はたまたま産後うつを回避でき、今では自分らしく過ごしています。
心まで健康で生きていけるって、もしかしたら奇跡的な事なのかも知れませんね。