妊娠出産で夫に言われたひと言で今でも忘れられないこと厳選2選|憎しみと感謝の狭間で苦しい

妊娠出産の時に夫に言われた事・された事は一生忘れられないと言いますが、私自身今でも忘れられない事が2つあります。夫に感謝しながらも時に憎しみに苛まれ、苦しくなるときがあるんです。
どうして、人生のうちたった数回(もしかしたら1回)しかない妊娠出産というこのタイミングでこんなひどい事を言われなくてはならないの。
私は妊娠出産中に何度もこう感じる事がありました!
「妊娠出産でされたこと・言われたことを妻は絶対に忘れない」、そうこれです。
夫からすると、いつまで何年も前の事を引きずっているんだっていう事になるのでしょうけど、妻からすると、幸せだったはずの時を振り返ろうとすると必ずや悔しくて仕方のなかったあの一言まで思い出されてしまうという事態。
憎しみと感謝の狭間に長年立たされ、苦しいのです。
先日、「30週の妊婦さんが検診に付き合ったご主人に言われたひと言が悲しい」というツイートを見掛け、私も久し振りにあの頃を思い出して心がざわざわしました。
当記事では、
- 私が妊娠出産で夫に実際に言われて今でも忘れられないこと。
- その時私がどう感じたか。
- どう気持ちを解消していったか。
をまとめます。
妊娠出産で夫に言われて忘れられない事①オマエのワガママで産後の世話に母を呼べないなんて
私たちは里帰り出産をせず、産後を自宅で過ごす予定でいたんです。
というのも、新居にたった2ヶ月弱しか住んでいない状態で切迫早産の長期入院を余儀なくされてしまったため、「自宅ではやくのんびり家族だけで過ごしたい」という私の強い望みがあったんですね。
私は妊娠初期から切迫流産で、ずっと不安続きの妊娠生活を送っていました。
子どもの命を守るプレッシャーがとにかく重すぎて、妊娠期間中、心が安らぐ間がなかったんです。
その結果、緊急入院となってしまったので余計に「自宅でゆっくり過ごしたい」という想いが強くなってしまったのかも知れません!
ところが夫は、私が「新居で家族だけでゆっくり過ごしたい」という思いを伝えてもなお、義母を新居に呼び寄せて世話をさせるつもりだったのです…oh…
義母に赤ちゃんの世話をさせようとしていた夫
夫は当たり前のように「母さんを呼んで手伝ってもらおう」と言いました。
でも私が真っ先に感じた事は、(家事が苦手な義母さんがうちに来て、一体何の世話をするの…?)でした。
義母はバリバリに働いている人なので、基本的には家事が苦手。
ソファーに寝そべったら何もしません。
そんな義母がうちに来て、甲斐甲斐しく私の身の回りの世話ができるわけがないんです。
ねぇ、義母さんがうちに来て何をお願いするの?と聞けば、「赤ちゃんの世話をしてもらえばその間に家事出来るじゃん!」と言う夫。
私は、「産後の手伝いっていうのはお母さんが赤ちゃんのお世話に専念できるように家事・炊事を手伝うんじゃないの?私の子どもなのだから私が赤ちゃんのお世話をしたい。義母さんが赤ちゃんのお世話をして私が家事するなら、来てもらう必要なくない?」と言ったのです。
すると途端に不機嫌になりこう言いました。
お前のワガママで産後に母さんを呼べないなんて。親不孝にもほどがある。
…えw
夫にとって産後に母親を世話に来させることは、親孝行だったのです。
気心も知れない相手の下着を洗える?
「そこまで言うのなら呼んでもらってもかまわないけど、赤ちゃんのお世話は私がするから、義母さんには基本的に家事炊事をお願いする事にしてね。」私はそう夫に伝えました。
そして、「まだ数回しかあった事のない、気心も知れない相手(私)の下着を洗う事になるけど、義母さん嫌じゃないかな?」とも言いました。(今思えば嫌味っぽいですねw)
我ながら嫌な言い方だなぁと思いますけど、現実はこれですから。
夫は結局、自分の勘違いに気付いたようで、義母を我が家に呼び寄せる事はしませんでした。
妊娠出産で夫に言われて忘れられない事②母を出産に立ち会わせられないなら、こんな結婚失敗だった
私が今でも一番忘れられないのが、分娩前夜に言われたこの一言ですw
私は切迫早産で長期入院をしていて、身体の状態から計画分娩となりました。
計画分娩日前日に入院をし、病室で夫と過ごしている時に、夫が明日(分娩予定日)義母を呼びたいと言ったのです。
そしてそれが無理だとわかると、夫は、ありったけの憎しみを込めてこう言いました。
母さんを出産に立ち会わせる事も出来ない、産後の世話もさせられない、ならこんな結婚は失敗だった。
Oh…
陣痛で苦しむ中、義母を甲斐甲斐しくアテンドする夫など見たくない
夫が「明日、産まれる瞬間に母さんを立ち会わせたいから、ここに呼びたい」と言った時、私は(??何を言ってるの??)と思いました。
義母は新幹線を使って3時間ほどの場所に住んでいるのですが、上京する時はいつも夫が東京駅まで送り迎えするんですね。
私が出産する病院は便が悪く、駅からバスを利用しなくてはならないので、東京駅まで1時間以上かかります。
私は朝9時から陣痛促進剤の投与が始まります。
義母が東京駅に到着するのはどんなに早くても10時半頃。陣痛促進剤が効き、陣痛が始まっている頃です。
さらには、病院内に食堂がなく、近くに喫茶店もレストランもありません。
私の食事は病院で出ますけど、夫の食事は病院内のコンビニで買う予定でいました。
でももし義母が来たら、コンビニで済ませる事は絶対にしないでしょうね。
義母がコンビニのおにぎりを大人しく食べるような人ではないし、義母に「どこかへ食べに行こう」と言われて「妻が陣痛中なのに行けないよ」と言えるような夫ではありません。
私が陣痛で苦しむ中、2人でいそいそとランチへ出掛けるのがありありと想像つきますね。
では私が出産を終えたらどうでしょう。
2人はいそいそと私がまだ2ヶ月も住んでいない新居に行くのでしょうか。
私はそれまでにも感じていた不満も手伝って、こんな時にも義母さんの事ばかり考えているのかと絶望しました。
「私が陣痛で苦しんでいる時にあなたが義母さんのアテンドを優先している姿を見てしまったら、もう本当に無理かもしれない。お願いだから諦めて欲しい。」そう静かに伝えました。
当時モラハラ発言バリバリだった夫が、私には向けてくれない優しさを義母に向けている姿を、これ以上見るのは耐えられません。
そして、先の一言が夫の口から放たれたのです。
夫にとって妻の妊娠出産は、親孝行の道具だったのかも
地方の長男である夫にとって、妊娠出産は親孝行の1つの道具だったのです。
これで母親を幸せにできる、これで母親に孫を抱かせてあげられる、これでやっと母親が安心する、母親の願いが叶う、夫の心はすべて母親に向けての気持ちで埋め尽くされているように感じました。
そこに、妻である私への気持ちは…一切感じられませんでした。
今でこそ良きパパである夫ですが…
当時は確実に、妊娠も出産も夫にとっては親孝行の道具でした。
あれから8年、夫への憎しみと感謝の狭間で今でも苦しい
夫と私の関係はその後、紆余曲折を経て、まるっきり普通とまではいかずとも何とかうまくやっていると思います。
周囲の方に「夫婦仲いいよね」と言われる事もあります。
子は鎹とよく言ったもので、子どもが可愛ければ可愛いほど、我が子を授けてくれた夫への感謝が大きくなって行きます。
でも、
こんなにも幸せで愛しい我が子の誕生、その時の事を思い出すと、
同時に、あの時夫が放った言葉が必ずついてくるのです。
この気持ちをどう解消していったか
言われた事実はもう買えられません。
忘れようと思っても忘れる事も出来ません。
では私はこの気持ちをどうしたかというと、なるべく今の夫の事だけを考えるということです。
夫は子どもの事を本当に大切にしていて、少々溺愛し過ぎなぐらい。
子どもに高圧的になる事もないし、スマホに夢中で子どもほったらかしなんていう事もないし、周囲を見渡しても夫のように良いパパ、なかなかいないんですね。
息子が産まれるまでは、確かに親孝行のための我が子だったのかもしれない。
でも私たち母親が子供の成長と共に母として成長して行くのと一緒で、父親もそういうものだと思うんです。
だから過去にとらわれすぎず、今だけを見るようにしています。
どうしても絶望が襲ってくる時は
それでも年に1回ぐらい、どうしようもなく絶望が襲い掛かってくる時がありますw
そういう時は、家族でも友人でもない全くの他人に話を聞いてもらい、相談する事で気持ちを静めていました。
ここで注意しておきたいのが、「家族でも友人でもない他人」という事が重要だということ。
モラハラ夫は外面が良い事が多いので、家族や友人知人に話しても、貴女がさらに絶望する返事しか得られません。
「でもあれだけ子煩悩なのだから」
「貴女を思ってあえてそう言っているのでは?」
「それ以外はいい人だから」
「あんなに素敵な旦那さんなのに多くを望み過ぎよ」
よしんばあなたが勇気を出し恥を忍んで夫のモラハラ発言を打ち明けたとしても、返って来るのはこんな言葉だったら、もっと絶望してしまいます。
家族でも友人でもない他人に話し相談をする方法については別記事でまとめますね。
妊娠出産で夫に言われたひと言で今でも忘れられないこと厳選2選|憎しみと感謝の狭間で苦しい、さいごに
妊娠出産で夫に言われた事・された事は一生忘れない、これは本当です。
正直言って忘れたいです。
でもどうしても忘れられません。
無理をして忘れようとするのではなく、時にガス抜きをしながらうまく付き合っていくしかないのかなと思っています。